『Marvel's Wolverine』が9月15日にPS5向けに発売された。ソニーにとっても、インソムニアックにとっても非常に大きなタイトルであり、ソニー自身も本作をPlayStation Studiosにとっての「major milestone」と位置付けている。
しかし、発売後の評価を見ると、これまでのインソムニアック作品ほどの勢いは感じられない。Metacriticでは77点、OpenCriticでも79点前後となっており、『Marvel's Spider-Man』の87点、『Marvel's Spider-Man: Miles Morales』の85点、『Marvel's Spider-Man 2』の90点と比較すると明確に低い。IGNも6/10を付け、戦闘の単調さ、一本道の構成、敵のバリエーション、プレイヤーの自由度などを問題点として挙げている。
一方で、これを単純に「メディアから酷評され、ユーザーにも売れなかったゲーム」とするのも正確ではない。PlayStation Storeでは高い評価を得ている一方、Metacriticのユーザースコアは批評家より低く、反応はかなり分かれている。また、Alinea Analyticsの推計では、発売後数日間でPS5版が約190万本、約1億3000万ドルの売上に達したとされている。これはソニーが公表した公式数字ではないものの、少なくとも「評価が低いから売れていない」という単純な状況ではない。
むしろ今回興味深かったのは、レビューだけではなく、プレイヤー自身が実際のプレイ動画を通してゲームの問題点を可視化していったことだ。攻撃やパリィを単純に繰り返すだけでも安全に戦える場面や、操作の必要性が薄いまま進行してしまうように見えるシーンなどが動画として拡散された。もちろん、ゲーム全体をほとんど操作せずにクリアできるという意味ではない。しかし、プレイヤーが戦闘システムを深く理解しなくても進められてしまう場面が注目されたことは、本作の問題を考えるうえで象徴的だったと思う。
では、なぜ同じインソムニアックが作った『Spider-Man』では、こうした問題がそれほど目立たなかったのか。私は、その理由の一つがキャラクターそのものにあると考えている。
『Spider-Man』には、戦闘以外にも非常に強力なゲームプレイ上の武器がある。それがウェブ・スイングだ。ビルから飛び降り、ウェブを建物に引っ掛け、道路すれすれを通過しながら次の場所へ向かう。この移動そのものが気持ちよく、目的地へ向かうだけでも一つの遊びになっている。そのため、オープンワールドにありがちな収集要素やサブミッションにある程度の反復性があっても、その間を移動すること自体がゲームとしての楽しさを補ってくれる。
一方、『Wolverine』の魅力は、スパイダーマンのような移動能力ではなく、驚異的な再生能力と爪を使った肉弾戦にある。つまり、戦闘そのものが作品の中心にならなければならない。移動や探索で戦闘の単調さを補うことが難しい以上、ここでシステムの深さが問われることになる。
ここに、インソムニアックの強みと弱みが表れているように思う。インソムニアックは、グラフィック、映画的な演出、キャラクター、マップ、サブミッション、収集要素、スキルツリー、アップグレード、派手なアクションなど、大量の要素を一つの大作としてまとめ上げる能力が非常に高い。しかし、コンテンツを大量に用意することと、プレイヤーがシステムを理解し、研究し、習熟することで遊び方そのものが変化することは別の話だ。
『Wolverine』では、攻撃、回避、パリィ、アビリティなど多くの要素が用意されているものの、それらを深く理解することをプレイヤーに要求する力は弱い。簡単なゲームであること自体が問題なのではなく、システムを研究することでより上手く、より効率的に戦えるという動機が弱いことが問題なのだと思う。
そして、この問題はインソムニアック一社の問題だけではない。現在のPlayStation Studiosを見ていると、オープンワールド、収集要素、サブクエスト、スキルツリー、装備強化といった、AAAゲームとしてお馴染みの構造がかなり共通して見られるようになった。
もちろん、だからといって『Spider-Man』や『Horizon』、『Ghost of Tsushima』まで単純に「量産型のAAAゲーム」と呼ぶつもりはない。それぞれに、ウェブ・スイング、機械獣との戦闘、独特の世界観と剣戟という、その作品だから成立するゲームプレイの核があったからだ。基本的な構造が似ていても、その中心に強い個性があれば、単なるテンプレートにはならない。
だからこそ、『Wolverine』ではその差がよりはっきり見えてしまう。ウルヴァリンというキャラクターには、再生能力や肉体へのダメージそのものをゲームシステムに組み込むなど、まだ大きく踏み込める余地があったはずだ。しかし実際には、そうしたキャラクター固有の可能性よりも、既存のAAAゲームの構造に収まる方向へ進んでいるように見える。
そして、ここでソニーの存在が重要になる。『Wolverine』はMarvelという巨大IPに加え、PlayStation Studiosとインソムニアックという強力なブランドを背負い、PS5独占の大型タイトルとして大々的に展開された。もちろん、大作ゲームに大規模なプロモーションが必要なのは当然であり、外部から開発費と宣伝費の内訳を正確に知ることもできない。そのため、「ゲーム開発より宣伝に金を使った」といった話を事実としてするつもりはない。
ただ、完成したゲームと、それに対するソニーの扱いを並べて見ると、私には「新しいゲーム体験を作ること」以上に、「PlayStationの大型タイトルとして成立させること」に力が入っているように見えてしまう。これだけのブランド、資金、人材、技術力を投入した結果として、最終的に残ったものが「非常によく出来たAAAゲーム」に見えてしまうからだ。
ここが、現在のソニーに対して私が最も気になっている部分である。かつてのPlayStationが強かったのは、単純に大きなゲームを作ったからではない。映画的な演出や大規模な物語を取り込みながら、その予算を「ゲームでしかできない体験」に変えていたからこそ、他社との差別化ができていた。
『Wolverine』を見て感じるのは、その差が少しずつ小さくなっていることだ。大規模なグラフィック、大量のコンテンツ、映画的な演出、豪華なキャスト、巨大なIP。どれもAAAゲームとしては重要だが、それだけではもはや特別なものではない。
結局のところ、問題はソニーが大作ゲームを作ることでも、インソムニアックの制作能力が低いことでもない。むしろ両者とも、大規模なAAAゲームを高い完成度で作り上げる能力は十分に持っている。だからこそ、その規模を「これまでになかったゲーム体験」に変えられていないことが気になる。
「大きく作る」ことと「新しく作る」ことは同じではない。『Wolverine』は、その違いをかなり分かりやすく見せてしまった作品だった。これだけの資金、人材、技術力、そして巨大なIPを使って作られたゲームが、最終的に「非常によく出来たAAAゲーム」というところで止まってしまう。私には、それこそが現在のソニーとPlayStation Studiosにとって最も大きな問題に見える。

