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DEBUT

Infinite Joy, finally OPEN!

『機動警察パトレイバー』は、30年経っても古くならない

9月17日、『機動警察パトレイバー the Case Files』が発売された。久しぶりの『パトレイバー』の新作ゲームということで少し気になったのだが、改めてこの作品について考えてみると、やはり『機動警察パトレイバー』はかなり特殊な作品だと思う。

単純に「未来の東京でロボットに乗って警察をする作品」と考えてしまうと、この作品の面白さはかなり見えにくくなる。もちろんイングラムやグリフォンといったレイバーそのものには大きな魅力がある。ただ、『パトレイバー』の本当に面白いところは、ロボットそのものを最終的な目的にしていないことだと思う。特に押井守が監督した劇場版2作品を見ると、レイバーはむしろ現実の問題へ入っていくための入口になっている。

『機動警察パトレイバー the Movie』が描いているのは、技術だ。

バビロン・プロジェクトによって東京湾の大規模な開発が進み、レイバーはその巨大な計画を支える存在になる。そしてHOSという新しいシステムが導入されることで、事件は単なるレイバーの暴走では終わらなくなる。

ここで面白いのは、「機械が突然意思を持った」という話ではないことだ。人間がより便利に、より効率的にするために作った技術やシステムが、積み重なった結果として、人間自身の手に負えないものになっていく。

第一作の面白さは、巨大な方舟やレイバー同士の戦闘そのものではなく、むしろ「技術の進歩」という、一見すると疑う理由のないものに少しずつ不気味さを与えていくところにあると思う。そして『機動警察パトレイバー2 the Movie』になると、押井守はさらに一歩進めて、レイバーそのものをほとんど必要としなくなる。

今度のテーマは戦争だ。ただし、ここでも派手な戦争を見せたいわけではない。爆撃、軍事行動、警察と自衛隊の緊張関係が少しずつ現れ、それでも街では人々が普段通りの生活を続けている。「戦争が始まった」と誰かが宣言するわけではない。気がついたときには、すでに日常の中に戦争が入り込んでいる。ここが、1作目との対比として非常に面白い。

1作目では、人間が作り出した技術が、最終的に人間のコントロールから外れていく。

2作目では、人間が作り出した戦争の論理が、今度は日常そのものを侵食していく。

つまり、1作目が「技術は人間の手を離れるのか」という話だとすれば、2作目は「人間が作り出したものを、人間は本当にコントロールできるのか」というところまで話を広げている。だからこそ、この2本は同じ『パトレイバー』でありながら、見終わったときの印象がまったく違う。

1作目にはレイバー、HOS、方舟、巨大開発というSF的な要素がはっきり存在する。それに対して2作目では、それらがどんどん後ろに退き、最後に残るのは警察、軍隊、政治、そして戦争だけになる。それなのに、2作目のほうがむしろ『パトレイバー』という作品の本質に近いように感じる。押井守がやったことは、『パトレイバー』をより壮大なSF作品にすることではなかった。逆に、レイバーという分かりやすい要素を少しずつ取り除いて、その奥にあるものを見せていった。

だから30年以上経った今、『パトレイバー』を見ても「未来予測が当たったかどうか」という話にはあまり興味が持てない。レイバーは現実には普及しなかった。HOSが東京を危機に陥れることもなかった。それでも作品が古びないのは、未来を当てたからではない。

人間が作った技術も、都市も、制度も、戦争も、最初から「制御不能なもの」として生まれるわけではない。誰かが便利にするために作り、誰かが必要だから使い、少しずつ積み重なった結果として、いつの間にか人間の側がそれに振り回される。『機動警察パトレイバー』が30年以上経った今でも妙にリアルに感じるのは、未来を描いた作品だからではない。

人間が自分たちの作ったものを、最後まで支配できるとは限らない。その当たり前で、少し怖い事実を、ロボットアニメという形で描いていたからだと思う。

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